夢の超特急・新幹線開通から半世紀
50年前の昭和39年10月1日、新大阪発東京行き第1便の運転士には、 「160キロで行け」と指令が出ていたそうだ
しかし、160キロでは夢の超特急ではない。今まで何をやってきたんだ。
運転士はこの指令にもんもんとしながら運転していた。
200キロを出すと東京に早く着いてしまうし指令に背くことになる。
迷っていたが車掌からの電話に意を決した。
「いつ200キロを超えるのか。お客さんが速度計の前で待ってるよ」
京都を出てから70キロに落とした。
明らかな異常運転だが、隣に座っていた上司もとがめることはなかった。
口には出さないがみんなの思いは同じだ。
大津市に入るとフルスロットルに。
160キロを超えても加速し、・・・そして210キロに達した。
速度計の前では大歓声が上がり、報道関係者は世紀の瞬間をカメラに収めた。
車掌から「たいへんな騒ぎだ」と連絡が入った。
この運転士は50年経った今でも、
「異常な運転はしたが、これは全体の意向だった。
あの210キロは私個人の跳ね上がりではない。みんなの誇りだった」と振り返る。
素敵だなあ、こういう人と、それを許す日本の風土。
当社も創業50年。
五十年(いそとせ)に 大和の誇りこだまして
ひかり輝きのぞみ未来へ
さて、週末は山陽九州新幹線「みずほ」で薩摩へ
時速270キロを感じて来よう。